2013年7月4日 毎日新聞記事より 人生やってみなくちゃ

7年前の新聞記事の続きが読みたいとリクエストをもらったので
記事にしてみる。

51歳で生まれて初めて小学校の先生になって2年目の頃。

Facebookでの私の紹介記事が目にとまり連絡をもらった。

取材では喋ること3時間。できた記事は「これ違う」が多く。直してもらった。

完成した記事も数カ所違うんだけどなぁがあるが。。。
正しく伝えるって難しい。

取材の後、記者さんおすすめの香港に旅行に行ったのもよい想い出だ。

画像でなく文字おこし。

取材の様子はこちら旧ブログ20130704

2013年7月4日 毎日新聞 社会面 たまてばこ

「人生、やってみなくちゃ」

2年前、ふるさとの北九州に戻ってきた。32年ぶりのUターンは、新たな人生の第一歩だった。「あんた、その年で教師になったの?」と旧友たちには驚かれてしまったけど。

杉野美子さん(53)は、平凡で穏やかな人生を歩むはずだった。父親の勧めで高校まで過ごした北九州を離れ、関東の茨城大学へ。卒業してワープロのインストラクターとして2年勤めた後、大学時代の同級生と25歳で結婚した。仕事を辞め、2人の子供にも恵まれた。

「何かが違う」そう感じ始めたのは30代の後半だった。2世帯住宅で同居を始めた夫の両親と、どうしてもうまくやれなかった。40歳で離婚。社会の荒波に飛び込んだ。

20~30社回って見つけた事務の仕事は3ヶ月でクビになった。経理の仕事をしたり、レストランでアルバイトをしたりした。仕事を昼と夜に掛け持ちし、過労で倒れたことも。お金がなくなり友達の「お米が余っているから、取りに来たら」という見え見えのうそに助けられた。だが、後悔はしなかった。働きづめで生活するのに精一杯だったが、自分の思い通りに生きていると、充実感があった。

そんな時、ふるさとの父が心臓病で倒れた。母と2人暮らし。両親は「戻ってきてほしい」とは言わなかったが、2人の心細さは痛いほど分かった。下の息子が大学に入り、独り立ちしたら帰ろうと決意し、父に「あと7年待って」と告げた。

発達障害の子供を支援した経験もあり、「北九州で小学校の先生になろう」と決めた。教員免許を取るために通信制の大学に入り、働きながら勉強した。朝4時に起き、仕事に行くまでの数時間に教科書を開いた。そして約束の7年目。教育実習で帰郷。最後の実習が終わった次の日、それを見届けたように父が息を引き取った。

51歳の春、新人教師として小学校の教壇に立った。2年目の今でも、戸惑うこと、分からないことだらけ。でも一つだけ胸を張って言えることがある。「人生、やってみなくちゃ分からない」

曽田拓

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